2004年8月13日

屈折のカルピス

 久しぶりにカルピスを飲みました。カルピスウォーターではなく、水で薄めて飲む元祖なやつです。いやー20年ぶりくらいかもしれません。あたりまえといえばあたりまえなのですが、味はまったく変わっておらず、昔のまんまでした。それが妙にうれしかったりします。

 カルピスというと思い出すのが、上がラッパ型でカルピスのロゴがついていた大きめのグラスです。子供のころ、あれが欲しくて欲しくてたまらなかったのですが、確か酒屋の販促用か、贈答品の中に入っているオマケで、大量に酒(か清涼飲料)を買うか、大量にお中元をもらう家でないと入手できなかった覚えがあります。当然うちじゃ手に入れるのはほぼ無理でした。手に入らないと思うと、CMの中で、あのグラスでカルピスを飲む子供がひどくあかぬけて見え、うらやましさがねたましさに変わっていったものです。

 あの子のうちは、いっぱいカルピスを買うんだ。だからコップももらえるんだ。

 久々に飲んだカルピスは、せつなく屈折していた子供のころのココロまで運んできました。モノって不思議です。

 ところで、しんみりした気持ちを共有しようと、夫にこの話をすると、

 「うーん、オレはあんまり思い入れないなぁ。というか家にあのコップあったし

 ……この、ブルジョアめ、ブルジョアめ、ブルジョアめ、人民の敵!!

8月 13, 2004 子供・コドモ | | コメント (3) | トラックバック (0)

2004年6月 4日

たまにはマジメな話を

 大友克洋さんがこんなの作っていたんですね。知らなかった。見に行きたいにゅ。
http://www.steamboy.net/intro.shtml

 大友さんの作品を全部見たり読んだりしたわけではありませんが、一等好きなのは「童夢」です。子供のココロには無邪気と残酷、喜びと憤り、純粋と欺瞞が表裏一体で詰まっていて、その差は混沌として区別がつかない、ということが力いっぱい描かれている作品だからです。子供のココロこそはカオス。大人になるにつれて、水の中でおりが沈むように色々な感情がおさまるべき引き出しにおさまっていくのかもしれません。

 そんなカオス状態の時に、世間がやたらちやほやしたり、逆に放置したり、ピントがはずれたほめ方やしかり方をしたり、肝心のしつけを忘れてお受験させたりしたら、そらおかしくなる子もでるわな…と思うのです。佐世保の件だけじゃなくて、最近の子供にまつわる凶事を聞くたびに思ってしまうのです。

 あなたには子供がいないでしょう、と言われると何とも返す言葉はないのですけどね。でも数ヶ月前までアルバイトをしていた家族経営の小さな会社でこんなことがありました。そこの社長夫婦の子供(当時小学一年生と四年生)は、親と一緒に会社に来ても従業員に「こんにちは」すら言わないんですよ。もっとびっくりしたのは、親も「あいさつをしなさい」と言わないんです。アルバイトだから(あるいは私という人間が気に入らないから)そんなことしなくてもいいと教えられているのか、と勘ぐりたくなったくらいです。これは子供がいるいないの問題じゃなくて、しつけの常識なんじゃないかと思うのですが、私が時代オクレなのでしょうか。

 その母親は子供の何かの発表会の時、「よい席を確保して写真を撮るために、親はみな朝から会場に並ぶ」と言っていました。何かがおかしいとしか思えません。もちろんこんな人ばかりじゃなく、子供との真剣勝負に日々ガンバっているご両親もいると思います。そのような大人が増えるように、また自分がもし子供を持つことがあればそうなれるようにと願っています。

6月 4, 2004 子供・コドモ | | コメント (2) | トラックバック (0)