2006年11月29日

水のいのち

降りしきれ 雨よ
降りしきれ
すべて
立ちすくむものの上に
また
横たわるものの上に

(高田三郎作曲・高野喜久雄作詞 合唱組曲「水のいのち」より「雨」から冒頭を引用)

 このところ少し冷え込んだので、桜の葉が一気にあざやかになりました。黄色や橙、朱に赤と、とりどりに色が変わり、散ってゆきます。そこへ秋の雨が降り、黒くぬれた木立に葉っぱのじゅうたんが赤々と映え、それはもう本当にため息が出るほど綺麗です。

 梅雨はあまり好きじゃないのですが、静かに落ちてくる春や秋の雨は大好きです。

 冒頭の引用は「水のいのち」という合唱組曲の最初の曲「雨」の一節ですが、これも「聴くと必ず泣いてしまう曲」として私の中にしまわれています。小学生のころ母親が当時流行だった「ママさんコーラス」に参加していて、その時初めて耳にしました。以来私の心の中には、この曲と共にやわらかな雨が永遠に降りしきる部屋ができました。そしてなにかのはずみに、たとえば上のようなぬれた裸木を見たりすると、ぽうっと気持ちの表にでてくるのです。

 組曲は「雨」「水たまり」「川」「海」「海よ」の5曲から成ります。地に降りそそいだ水が、よどんで溜まったり、または川となって流れ、最後には大海に注いでまた空に上るありさまが、人の生き方に重ね合わせるような流れで描かれています。

 自然の大きな営みである水の循環を唱っていますが、いわゆるエコロジーな歌ではありません。自然に対する素直で素朴な驚きと、人間への深い気持ちが織り込まれている組曲です。私のつたない言葉を並べるよりも、聴いてもらったほうがよっぽど話が早いので、本当はCDで合唱を聞いてもらうといいのですが、こちらのサイト(管理者さんによるとJASRACの許可済みらしいです)にメロディと詩が載っていますので、よかったらゴーしてみてください。というか、お願いぜひ聞いてー(笑)。合唱曲というカテゴリはできれば無視で。詩とメロディの融合があまりにもすばらしく、ホントにそういうジャンルではしばれません。

11月 29, 2006 歌や踊り | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月 1日

ギターと三味線

 昨日の夕方、駅ビルの通路を歩いていたら、どこからか津軽三味線の音色が流れてきました。どこだろうと音のする方に歩いていくと、外の噴水のそばで一人の男性がばちを鳴らしていました。日はすでにかたむき、男性の服装も着流しか甚平かはっきりとわからない中で、あの独特の野太い音が風にのって響いていました。

 津軽三味線の音色は大好きです。いくら聴いても飽きません。そういうところはフラメンコギターに似ています。このふたつの楽器は見えない糸で繋がっているかのように思える部分があります。

 10年以上前ですが、亡くなった初代高橋竹山さんの演奏を渋谷ジァンジァンで間近に聴いたことがあります。最初は古典から演奏が始まり、くわえてスーパー青森弁の語りは失礼ながらおっしゃっていることが半分以上解らず、私の前に座っていた若い男性などは途中からこっくりこーと船を漕ぎ始めていました。

 ところが、「時間がないらしいけど、これをやらねば終われねぇ」と言って弾き始めたオリジナルの曲はとてつもないものでした。他の曲と何かが違うことは明らかです。船を漕いでいた男性は瞬時に起きました。起きたどころか後ろから見てもわかるくらい熱心に聴き入っていました。私のへっぽこな筆では、あの時のなんともいえない雰囲気をうまく表現することができません。フラメンコでは、魂の奥底から出てくる音や歌や踊りの深い深い力のことをドゥエンデと言いますが、この時の竹山さんの曲にはまさしくドゥエンデがありました。

 楽器や歌の才はとんとない私ですが、今何かやってみたい音楽があるとすれば、それはフラメンコのカンテ(歌)か津軽三味線です。

9月 1, 2006 歌や踊り | | コメント (6) | トラックバック (0)