むかし洋楽・反則番外編 ― Terremoto de Jerez ―
フラメンコというと何が最初に思い浮かぶでしょうか?たぶん“踊り”だという人がほとんどだと思います。私もそうでしたし今でもそうです。なんといっても視覚から入る印象は強く、ましてやあの踊りは魔性の力を持っていて、魅かれる人はとことん引きずりこまれてしまうからです。
スペインあるいは日本で、タブラオと呼ばれるフラメンコを観ながら食事ができるレストランに行ったことがある人はご存知だと思いますが、ショーのステージには踊り子以外にギタリストと歌い手がいます。普通はまず歌とギターで音楽が始まり、ややあって踊りが入ります。スペインでは夜がふけるにつれてベテランが出てくるようになるのですが、それは同時に、ひょっとしたら歌だけあるいはギターだけのフラメンコが聞ける時間かもしれません。
歌とギターと踊り。もちろんこの三つが相乗してあの魅力的な世界はできあがるのですが、実は音楽の部分、とりわけ歌こそがフラメンコがフラメンコたりえる根幹だということはあまり知られていません。バイレ(踊り)のないフラメンコはありえますが、カンテ(歌)のないフラメンコは絶対にありえないのです。なんか難しいことを言っているようですが、例えば日本の民謡を考えた時、音楽のない佐渡おけさやソーラン節が考えられないのと同じことです。
やたら前置きが長くなってしまいましたが、Terremoto de Jerezはそのフラメンコを唄う歌手、カンテオールです。「ヘレス出身のテレモート」という意味ですが、テレモートは本名ではなく、その歌声が聴く者の心を震わせ揺さぶるものであったところからついたと言われている通り名です(Terremotoは地震という意味)。こういう名付け方なので彼以外にもテレモートという歌手はたくさんいて、私が聴いたのは1981年に亡くなったテレモートです。かなり昔のカンテオールなので、今では大家や巨匠と言われているようです。
私は20代のころ6年ほど踊りのマネゴトをしていただけですし、一番入れ込んでいた時でもそれほど多くのカンテを聴いたわけではありません。スペイン語もほとんどわかりません。また、最近のカンテやバイレの情報にはとんと疎く、若いアーティストのことも知りません。しかしテレモートのCDを聴くたびに、フラメンコに魅入られるということに、そういう諸々の情報みたいなものは何の意味も持たないことがよくわかります。
なぜなら、テレモートの歌声を聴く時、私は必ず泣いてしまうからです。
多くのヒターノのカンテオールがそうであるように、テレモートも生まれた時から歌とギターと踊りに囲まれていました。フラメンコに関わるヒターノにとって、唄うこと弾くこと踊ることは生きることであり、生きることは唄うこと弾くこと踊ることです。だからテレモートにとってもフラメンコは仕事というより人生そのものであり、生きていく中で起きる辛いこと楽しいこと、怒り悲しみ喜び全てが彼の中で歌声に変わって口からむき出しに流れ出ているのです。歌詞はありますがそれは言葉ではなく魂そのものであり、中にある何かとても言葉で言い表せないものがいつも私の心の奥深いところに触れるのです。
実は20代のころはこれほど泣けてきませんでした。心にドンとくるものは同じはずなのですが、私みたいなやつでも少しは歳を重ねることで感ずるものが増えたのかもしれません。単に涙もろくなってるだけなのかもしれませんが。
2月 22, 2006 旅行・地域 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)




